仁祖(インジョ)はなぜ趙氏(チョシ)をあれほど寵愛したのか

 

仁祖(インジョ)の側室として王宮の中で横暴にふるまったのが趙氏(チョシ)だった。彼女は昭容(ソヨン/側室に与えられる正三品の品階)のときは昭容(ソヨン)・趙氏(チョシ)と呼ばれ、貴人(キイン/側室に与えられる従一品の品階)のときは貴人(キイン)・趙氏(チョシ)と称された。

寂しい仁祖をなぐさめた趙氏

果たして、趙氏とはどういう女性なのか。
彼女の生年は不明である。
だが、仁祖が最初に結婚した仁烈(インニョル)王后に付き添う女官として1629年に王宮に入ってきたと推定されている。




身分は高くない。むしろ低い。
なにしろ、庶子なのである。身分制度が厳格だった朝鮮王朝時代に庶子はかなり低く見られてしまった。
それでも、趙氏は際立った美貌を誇っていた。それが趙氏の運命を変えた、と言っても過言ではない。
仁祖は1637年1月に清の皇帝の前で屈辱的な謝罪をさせられている。それは、朝鮮王朝が清の大軍に負けた結果でもあった。挙げ句に、仁祖の息子3人は清の人質となって連れ去られてしまった。
仁烈王后もすでに亡くなっていた。それゆえ、仁祖は王宮の中で寂しい暮らしを余儀なくされた。
その寂しさをなぐさめたのが趙氏だった。
(ページ2に続く)

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