早世したために歴史上でもあまり知られていなかった孝明(ヒョミョン)世子。しかし、『雲が描いた月明り』が大ヒットし、その主人公として現代韓国でも有名になった。果たして、どんな人物だったのだろうか。
10歳で嫁を迎えた
名君と呼ばれた22代王・正祖(チョンジョ)が1800年に世を去ると、息子の純祖(スンジョ)が10歳で23代王に即位した。
彼の正室が純元(スヌォン)王后である。
この女性は大変な活動家で、純祖の性格がおとなしいことを利用して、自分の実家の一族である安東・金氏(アンドン・キムシ)をどんどん重職につけた。
こうして安東・金氏が朝鮮王朝の政治を牛耳るようになると、純祖もようやく妻の実家を牽制するようになり、具体的な行動に出た。
それは10歳だった息子の孝明世子の正室に豊壌・趙氏(プンヤン・チョシ)の一族の娘を迎えることだった。
つまり、豊壌・趙氏を重用して安東・金氏に対抗させようとしたのだ。(ページ2に続く)
イ・ヨン(孝明世子〔ヒョミョンセジャ〕)はどんな人だったのか?
孝明世子(ヒョミョンセジャ/名はイ・ヨン)はどれほど優秀だったのか?
イ・ヨン(孝明世子〔ヒョミョンセジャ〕)の父の純祖(スンジョ)は誰?
孝明世子(ヒョミョンセジャ/名はイ・ヨン)に代表される「世子」とは何か?
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