カテゴリー:王宮物語
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朝鮮王朝時代の王宮にはどのくらいの人が住んでいたか?
王宮の中心に住んでいたのは、もちろん王族です。この人たちが王宮の主役でした。政治と行政を担当する高官たちは王宮の外に自分の屋敷を構えて王宮まで通ってきていましたし、実務を担当する下級の官吏たちも通常は…詳細を見る -
朝鮮王朝の27人の国王の寿命を比較してみよう
朝鮮王朝の国王の平均寿命は約46歳だった。王は最高の栄養を取っていたが、食べすぎと運動不足で病気がちな王が多かったのである。そうした事実を含めて、王たちの長寿と短命をランキングにしてみよう。 …詳細を見る -
仁祖(インジョ)の狡猾な性格が貞明(チョンミョン)公主を追い詰めた!
1623年にクーデターを成功させて16代王になった仁祖(インジョ)は、貞明(チョンミョン)公主をとても優遇した。なぜなら、貞明公主が仁穆(インモク)王后の娘だったからだ。仁祖が朝鮮王朝の正統的な君主で…詳細を見る -
首陽大君(スヤンデグン)は弟の安平大君(アンピョンデグン)を悪意で死罪にした!
甥の端宗(タンジョン)から王位を強奪しようとした首陽大君(スヤンデグン)は、1453年に端宗の後見人だった金宗瑞(キム・ジョンソ)を襲撃して彼を排除した。それが、朝鮮半島の全土を震えあがらせた癸酉靖難…詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)が庶民のために行なった大同法とは何か
1608年に王位に就いた光海君(クァンヘグン)は、兄や弟の命を奪っています。王位を安定させるためとはいえ、この行ないは多くの怨みを買いました。結局、光海君は1623年に廃位となりましたが、彼が熱心に進…詳細を見る -
決起した首陽大君(スヤンデグン/世祖〔セジョ〕)は何をしたか
首陽大君(スヤンデグン)は甥の端宗(タンジョン)から王位を奪う野心を秘めていた。そして、いよいよ自分が行動を起こす時期に来ていることを悟った首陽大君は、1453年10月10日に側近たちを自邸に集めて決…詳細を見る -
首陽大君(スヤンデグン/世祖〔セジョ〕)はなぜ政変を起こしたのか
首陽大君(スヤンデグン)は甥が国王になっていたのに、自分も王位に執着した。その執着の根底には、官僚主導の政治に対する反感もあった。果たして、首陽大君はなぜ強硬な政変劇を起こしたのか。 [capt…詳細を見る -
首陽大君(スヤンデグン)が起こした癸酉靖難(ケユジョンナン)とは何か
1452年、5代王の文宗(ムンジョン)が亡くなった。まだ11歳だった長男の端宗(タンジョン)が6代王として即位することになり、野心家たちのくすぶっていた権力欲に火がついてしまった。 [capti…詳細を見る -
王妃の中で誰が「廃妃」になってしまったのか
朝鮮王朝の法律に沿って王が決定したように、王妃もまた厳格な法を適用されて決められていました。それだけに、王妃を廃妃にするのは容易ではないのですが、実際には多くの王妃が廃妃になっています。 [ca…詳細を見る -
王と王妃の結婚!儀式はどのように行なわれたのか
朝鮮王朝では、王室の結婚式のことを「国婚(クッコン)」と呼んでいました。この「国婚」には、王妃を迎える儀式、世子(セジャ/王の正式の後継者)の妻を迎える儀式、王子が妻を迎える儀式、王女が嫁に行く儀式の…詳細を見る