タグ:歴史
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朝鮮王朝の年表1〔1392-1446年〕
1392年に朝鮮王朝が建国された時点から、世宗(セ)(ジョン)がハングルを公布するまでの出来事をまとめました。 ◆1392年から1396年まで 〔1392年〕高麗(コ)(リョ)王朝の武将だ…詳細を見る -
朝鮮王朝実録を読む4/「正祖毒殺疑惑」
朝鮮王朝後期の名君だった正祖(チョンジョ)は、1780年に急の発熱で危篤状態に陥ってしまいました。 ◆1780年6月28日の記述1 (正祖が危篤になると、祖母の貞純〔チョンスン〕王后が急に…詳細を見る -
朝鮮王朝実録を読む3/「燕山君の追放」と「光海君の廃位」
朝鮮王朝の27人の王の中で、クーデターで王位を追われたのは2人だけです。今回は、この2人の王を取り上げます。 ◆1506年9月2日の記述 (燕山君の悪政を終わらせるためにクーデターが起きた…詳細を見る -
朝鮮王朝実録を読む2/「首陽大君の反乱」と「死六臣」
甥にあたる端宗から王位を奪おうとした首陽大君の反乱と、退位した端宗の復位を狙った死六臣の事件を取り上げます。 ◆1453年10月10日の記述 (首陽大君〔スヤンデグン〕が金宗瑞〔キム・ジョ…詳細を見る -
朝鮮王朝実録を読む1/「王子の乱」と「ハングルの公布」
朝鮮王朝前期の重要な出来事を取り上げます。1398年の「王子の乱」と、1446年の「ハングルの公布」です。 ◆1398年8月26日の記述 (靖安大君〔チョンアンデグン/初代王の五男だった芳…詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ)の激闘5
貞明公主は、クーデターの直後には結婚できたが、20歳だったので、当時としては遅い結婚だった。当時のしきたりでは、王女は結婚したらすぐ外に出ることになっているので、外に大きな屋敷を構えた。 無…詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ)の激闘4
綾陽君は仁穆王后の怒りがあまりに大きいので、その場を退散して、また改めて出掛けた。仁穆王后も少し頭を冷やしたようで、「大義名分を出すには条件がある。あの化け物の首を取ってまいれ」と言った。 [c…詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ)の激闘3
光海君は「明は滅亡して後金の時代になる」と予測していた。「明に肩入れするとうちの国もやられてしまう」ということで、やむを得ず援軍を出すときは最小限にして、後金に対して「事情があって明に援軍を出していま…詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ)の激闘2
宣祖があと5年ほど生きていたら永昌大君が王になっていた可能性が高い。だからこそ、光海君の一派が毒殺したのではないかと言われている。光海君の側近には、悪女として有名な金介屎(キム・ゲシ)という女性がいた…詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ)の激闘1
朝鮮王朝の1592年というと朝鮮出兵であった。豊臣軍が攻めてきた年だ。そのときの王は、14代王・宣祖(ソンジョ)だった。それまでの13代目までは、すべて国王の正室から生まれていて、正統的な王位継承者な…詳細を見る