悲劇の歴史の舞台
昌慶宮には特別な特徴があります。朝鮮王朝の他の王宮のほとんどが南向きなのに対し、昌慶宮は正門と正殿が東向きになっています。
それは、東に向かって平地が開けていたので、その地形にさからわないように建てたためです。
昌慶宮では多くの王族が暮らしていただけに、重大な出来事もたくさん起きています。たとえば、21代王の英祖(ヨンジョ)が息子の思悼(サド)世子を米びつに閉じ込めて餓死させた事件が起きたのは1762年でした。
昌慶宮は、悲劇の歴史の舞台でもありました。
文=康 熙奉(カン ヒボン)