王の心をつかむために
16代王の仁祖(インジョ)の側室として悪名が高い趙氏(チョシ)は、品階が昭容のときは昭容・趙氏と呼ばれ、貴人に昇格したときは貴人・趙氏となった。同じ人物でも、呼ばれ方が変わってくるのでまぎらわしいのだが……。
以上のように、側室は細かく品階を分けられたが、それは王に対する貢献度によって変わっていった。
最大の貢献といえば、やはり王子を産むことに尽きる。歴史的にみると、王の長男を産んだ側室は正一品の嬪に昇格している。その中では、特に張禧嬪(チャン・ヒビン)が有名である。
なんといっても、王に寵愛される度合いによって品階が上がったり下がったりするので、側室たちも必死に王の心をつかもうとした。
そうした現実があったので、朝鮮王朝では官僚と結託して裏で暗躍する側室が多かったのである。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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