イニョン王妃の復活と死!チャン・ヒビンに呪われたのか

 

19代王の粛宗(スクチョン)が熱望した跡取りの王子を側室の張禧嬪(チャン・ヒビン)が1688年に出産した。すると、翌年に粛宗は非情にもイニョン(仁顕)王妃を廃妃(ペビ)にしてしまった。空いた王妃の座には張禧嬪が昇格した。

粗末な食事

実家に帰されたイニョン王妃は、「自分は罪人だから」と思い詰め、門を閉じて誰にも会わなかった。
住んだのは実家の奥の離れで、障子には穴が空いていた。
口にしたのは粗末な食事だけだった。
かつて王妃にまでなった女性があまりに質素に謹慎しているので、世の人々は「本当に徳がある人だ」と慕った。




一方の張禧嬪は、念願の王妃になって贅沢三昧(ぜいたくざんまい)の日々を過ごした。しかし、それは長く続かなかった。粛宗の心に変化が生じたからだ。
喜怒哀楽が激しく感情が移り気な彼は、しだいにイニョン王妃を廃妃にしたことを後悔し始めた。
また、張禧嬪が側室たちを徹底的にいじめるという話を聞いて、彼女への熱がどんどん冷めていってしまった。
そんな時期に、新たに粛宗の心をとらえたのが淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏だった。ドラマ『トンイ』の主人公になった女性だ。
彼女は低い身分の出身で宮中の下働きをしていたのだが、粛宗の目にとまって寵愛を受けるようになった。(ページ2に続く)

イニョン王妃の悲劇!チャン・ヒビンを愛した粛宗(スクチョン)は何をした?

粛宗(スクチョン)は仁顕(イニョン)王后を廃妃にするとき何を語ったか

粛宗(スクチョン)は仁顕(イニョン)王后を王妃に戻すとき何を語ったか

粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)を死罪にするとき何を語ったか



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