王と官僚が支配した男たちの国「朝鮮王朝」でも、特別なリーダーシップとカリスマで強く光った王妃たちも存在した。朝鮮王朝で最初の垂簾聴政(王族の最長老女性が幼い王の摂政をすること)を行なった貞熹王后は、代表的な女性政治家だった。
王になれない夫
1418年に生まれた貞熹王后は名家の出身だ。
本来、王室との縁談があったのは彼女の姉だったという。
当時、4代王の世宗(セジョン)は王子や王女の結婚に用意周到だった。
名門の尹(ユン)家の長女を二男の首陽大君(スヤンデグン)の相手に決めた世宗。彼はひそかに人を送って尹家を観察した。
すると、二女の資質がもっとも優れていることがわかった。途端に世宗は、方針を変えて長女でなく二女を息子の嫁に迎えたという。それが貞熹王后である。
貞熹王后は10歳のとき、1つ上の首陽大君(スヤンデグン)と婚礼を挙げ、王室の一員になった。
彼女と首陽大君は仲が良かった。当時、上流階級の男なら何人もの妾を持つのが一般的だったが、首陽大君はそうしなかった。それほど貞熹王后を愛していた。
しかし、首陽大君の兄がすでに世子の座にいて、二男の首陽大君は王になれない運命だった。(ページ2に続く)