ついに王妃になった
首陽大君が30代になると、朝鮮王朝の政局は波乱の中に入った。貞熹王后はいつも夫の王座への野心を心配し、それに反対したという。
しかし、夫が決意してクーデターの日まで決めると、彼女は態度を変えて夫を全面的に応援した。
挙兵の日、いざ動こうとしても踏ん切りができなかった首陽大君に対し、貞熹王后は自分の手で鎧を着せて励ました。
1453年、首陽大君は金宗瑞(キム・ジョンソ)など有力な高官たちを襲撃して殺し、ライバルだった弟の安平大君(アンピョンデグン)を流刑にした。
こうしてクーデターは成功した。
敵を排除した首陽大君はすぐ王になる計画に取り組んだ。クーデターから2年後、首陽大君は甥で国王だった端宗(タンジョン)を退位させて、自分が朝鮮王朝の7代王・世祖(セジョ)になった。
こうして貞熹王后も名実ともに王妃となった。
以後、世祖が安定した王権を確保するまで、誰よりも世祖を励まし、大いに助けたのが貞熹王后だった。(ページ3に続く)