仁粋(インス)大妃にとって燕山君(ヨンサングン)は最悪な孫だった!

国王の祖母

10代王こそが、悪名高い燕山君(ヨンサングン)である。
彼は、母が死罪になったことを知らないで育った。
なにしろ、成宗が「尹氏のことは絶対に話してはいけない」ときつく釘をさしていたからだ。
しかし、出世に目がくらんだ奸臣(かんしん)が燕山君にすべての真相をばらしてしまい、燕山君は逆上した。




暴君として知られた彼は、母の死に関係した者たちを大虐殺した。
67歳になっていた仁粋大妃は、出来の悪い孫を叱った。
しかし、もともと燕山君は母が死んだのも仁粋大妃のせいだと思い込んでいる。彼は冷静さを失い、仁粋大妃に暴力をふるってしまった。このときのケガがもとで、仁粋大妃は1504年に亡くなった。
燕山君がクーデターで廃位になるのは、その2年後のことだ。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

燕山君と仁粋大妃について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』

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