安堵した世宗
情勢から言っても、太宗が昭憲王后を廃妃にするのは必然だった。ところが、太宗は昭憲王后を不問に付した。世宗の懇願があったのかもしれないが、それ以上に太宗は昭憲王后の功績を高く評価していたのだ。
その功績の一番は、昭憲王后が10人もの子を産んだことだった。そのうちの8人は男子だった。
「8人も王子を産んでくれた王妃をどうして宮中から追い出せるのか」
太宗のこの決定に世宗は安堵した。
以後、世宗と昭憲王后は安寧に暮らした。
世宗は1450年に53歳で世を去ったが、その4年前に昭憲王后は51歳で亡くなっている。
「父と母には大変なご苦労をおかけして、本当に申し訳ないと思っています」
昭憲王后は最後まで実家の没落を嘆いていた。
その心が通じたのか、後になって昭憲王后の父と母は復権して名誉を回復することができた。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。
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