王位が危うくなった端宗(タンジョン)は首陽大君(スヤンデグン)を牽制した!

 

1453年に首陽大君(スヤンデグン)が政変を起こして最高実力者になると、甥の端宗(タンジョン)を強力に圧迫し始めた。こうして端宗の王位は「風前の灯」になっていった。





首陽大君の評判は最悪

端宗にとって唯一の救いは、自分が初代王から続く嫡男の血筋であることだった。いくら首陽大君が権力を握って強い勢力を持っていても、正統と名分は端宗の側にあった。王位さえ守り抜けば、時間が経って端宗が成人したあかつきには、首陽大君も今のようには振る舞えないのは自明の理だった。
そう判断した端宗は、できるだけ首陽大君を刺激しないようにはからいながら、王としての仕事を忠実に行なった。朝会に参席し、大臣たちと政策について論じた。政治の権限はほとんど首陽大君が握っていて、まわりには首陽大君の手足のような者ばかりだったから、意味のある対話や行動はできなかったが、王と臣下の接触はそれだけでも重要な意味を持っていた。少しずつ王に共鳴する者が出てきたのである。
首陽大君もそれを知らないわけではなかったが、自分が起こした政変で悪くなった民心を意識して、端宗を重んじているというアピールをしなければならなかった。そこで首陽大君は知らないふりをしていた。それほど当時の民心は悪かったのだ。




世間では様々な流言が広まり、首陽大君の評判は散々だった。一部では、彼が兵士を引き連れて民衆を虐殺するという噂まで起きる状況だった。それだけ首陽大君は人を殺しすぎたのだ。
首陽大君は、端宗の結婚によって民心を落ちつかせようとした。以前にも端宗に結婚を勧めたが、当の端宗は喪中ということでそれを拒んだ。そのときはあくまでも自分の野望を隠すために首陽大君が言いだしたもので、端宗が結婚するかどうかは実際に関係がないことだった。
しかし、今は違う。ここで端宗が結婚すれば、国の慶事によって民衆が沸いて社会に活気が生まれるはずだった。また、王を思う臣下として自分のイメージが良くなると首陽大君は計算していた。
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