- 2019-8-7
- 韓国時代劇の登場人物
- 景宗, 朝鮮王朝, 歴史, 英祖
心優しい兄
気が弱い景宗は老論派の強硬な姿勢をはねつけることができず、一旦は弟の代理聴政を受け入れる意向を示した。
しかし、すぐに取り消したりして優柔不断な態度を取り続けた。危機感を強めた少論派は形勢逆転を期して大勝負に出た。
それは1721年12月6日のことだった。
この日、少論派の急先鋒だった高官の金一鏡(キム・イルギョン)は、同志と連名で「老論派の高官たちが謀反を企てている」という上訴文を出した。
用意周到に行われたこの反撃によって、老論派の4人の大臣たちが罷免されて島流しになってしまった。
その結果、政権の最高職となる領議政(ヨンイジョン/総理大臣)、政権のナンバー2となる左議政(チャイジョン)と右議政(ウイジョン)を少論派が独占するようになった。英祖をかついでいる老論派は最大の危機を迎えた。
しかし、英祖は世弟の立場をかろうじて守ることができた。それは、景宗が弟思いだったからだ。
英祖は間違いなく心優しい兄に救われたのだ。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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