李舜臣(イ・スンシン)が操った亀甲船

開戦直前の完成

豊臣軍の攻撃が近いことを察した李舜臣は、亀甲船の完成を急ぎました。戦中における彼の日々の記録である「乱中日記」によると、完成した亀甲船が進水したのは1592年3月27日です。
その日記には次のように記されています。
「朝食の後、乗船して、召浦に到り、鉄鎖を横にして設置する作業を監督し、終日、柱の木を立てるのを見、それとともに亀甲船の砲を試射する」
このあと、亀甲船はひんぱんに試射を行なっていますが、試射の精度がかなり向上して李舜臣が実戦で使用できると確信したのは、4月12日でした。その翌日に豊臣軍の先陣が釜山に上陸していますから、亀甲船は本当に間際に完成したと言えます。
開戦から20日ほどで都の漢陽(ハニャン/現在のソウル)が陥落して朝鮮王朝は苦境に陥っていましたが、李舜臣に率いられた水軍が亀甲船を使って豊臣軍から制海権を奪い、日本側の補給体制を寸断しています。




これによって豊臣軍の勢いは止まり、以後は戦線が膠着状態になります。今でも李舜臣が「救国の英雄」と尊敬されているのは、存亡の危機にあった朝鮮王朝が李舜臣の活躍で息を吹き返したからです。その際に大活躍したのが亀甲船でした。
1598年、豊臣秀吉が世を去ったのを機に豊臣軍は引き上げました。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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