惜しまれる孝明(ヒョミョン)世子の早世

26代王は誰か?

純元王后は1857年に68歳で世を去りますが、朝鮮王朝の政治を停滞させた張本人の1人です。
世界はまさに、激動の時代を迎えていました。欧米列強がアジアに進出する中で、朝鮮半島も激流に呑み込まれようとしていたのですが、朝鮮王朝は「相変わらず旧態依然」といった状況でした。
王という自覚がないままに自堕落な生活に溺れていた哲宗は1863年に32歳で絶命します。相変わらず政治を牛耳っていた安東・金氏は、自分たちの操り人形になりそうな人物を王にかつぎました。




それが26代王の高宗(コジョン)です。
しかし、安東・金氏のもくろみは、もろくもはずれました。高宗の父であった興宣大院君(フンソンデウォングン)が非常に有能で、巧みな政治手腕で安東・金氏を政権の要職から次々にはずしたのです。
こうして、約60年間も続いた勢道政治は終わりを告げました。
(次回に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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