朝鮮王朝で在位が短かった国王は誰なのか

端宗と景宗

次に取り上げるのは端宗(タンジョン/1441~1457年)である。
6代王で在位は1452~1455年だ。
5代王・文宗(ムンジョン)の長男として、わずか11歳で王となる。1455年、叔父の世祖(セジョ)に脅(おど)かされる形で王位を譲り、上王となるも権限はまったくなかった。
復位の動きを警戒した世祖は端宗を庶民に降格させた後、1457年に殺害してしまった。
最後に取り上げるのは景宗(キョンジョン/1688~1724年)である。
20代王で在位は1720~1724年。もともとは粛宗(スクチョン)と張禧嬪(チャン・ヒビン)との間に生まれた。




母が死罪になっているために、王になっても肩身が狭いところがあったが、人柄がとも良く、『朝鮮王朝実録』にも「殿下は慈しみにあふれ、人徳があった」と記されている。この景宗は、異母弟の英祖(ヨンジョ)に毒殺されたという疑いも残っている。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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