華麗なファン・ジニ(黄真伊)の人生は謎に包まれている!

私が死んだら……

ファン・ジニの前では、どんな男たちも歯が立たなかった。
1人だけ違ったのが、儒学者の徐敬徳(ソ・ギョンドク)だった。
ファン・ジニのほうが彼の才能に惚れ込み、彼女は色香で誘惑しようとした。
しかし、徐敬徳は落ちなかった。
たまらず、ファン・ジニは彼に弟子入りし、師匠として崇めた。僧侶や知識人を骨抜きにしたファン・ジニが、徐敬徳だけは信奉するようになったのだ。
このよう、徐敬徳だけには頭が上がらなかったファン・ジニだが、彼女は詩の才能をいかんなく発揮して、女性には生きづらい社会で華麗に生きた。
しかし、どこか謎めいた部分も多かった。
彼女が生を終えるとき、「私が死んだら棺に入れないで、鳥のエサにでもしてほしい」と言ったという。
おそらく、40歳前後で息を引き取ったと推定されるファン・ジニだが、正確な没年はわかっていない。




これほど有名な女性なのに、生年も没年も不明なままだ。朝鮮王朝時代というのは、女性が名を残すのに困難な時代だった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

黄真伊(ファン・ジニ)/朝鮮王朝美女物語1

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