- 2020-10-29
- 韓国時代劇の登場人物
- 世祖, 朝鮮王朝, 歴史, 首陽大君
11歳の若さで即位
1450年、世宗は信頼できる若い学者たちに「世孫を頼む」と言って亡くなった。
直後に、世子が5代王・文宗(ムンジョン)として即位。世孫も世子に昇格した。しかし文宗は、すぐに体調を崩し、在位の大半を病床で過ごした。
結果として王の権威は弱くなり、弟たちが勢力を強めていった。特に首陽大君は露骨に王位を狙い、臣下の中に支持者を広げていった。
文宗は心労を募らせ、病状を重くする。
1452年、死期を悟った文宗は、金宗瑞(キム・ジョンソ)ら重臣たちに死後を任せるとの遺命を託し、息を引き取った。こうして、世子は11歳の若さで6代王・端宗(タンジョン)として即位した。
成人していない王が即位した場合、王族の最長老女性が垂簾聴政(=王の代わりに執政すること)を行なうのが一般的だった。しかし、端宗にはそれも難しかった。なぜなら、母・顕徳王后は端宗を産んだ3日後に亡くなり、先代、先々代の王妃も他界していたからだ。
端宗は聡明だったが、11歳での執政は無理があった。そのため、端宗の治世初期は、文宗の遺命を受けた重臣たちによる政治が行なわれた。
彼らは強大な力を持つ首陽大君を牽制するため、世宗の三男の安平大君(アンピョンデグン)を支持し、対立構造を強めた。
そんな緊迫した情勢の中、首陽大君のもとを韓明澮(ハン・ミョンフェ)という男が訪ねてくる。
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首陽大君(スヤンデグン)が起こした癸酉靖難(ケユジョンナン)とは何か
首陽大君(スヤンデグン/世祖〔セジョ〕)はなぜ政変を起こしたのか