悲惨な最期を遂げた端宗(タンジョン)に涙する

 

「死六臣(サユクシン)」に象徴されるような端宗(タンジョン)復位計画を根絶するためには、端宗を生かしておけない……そう考えた世祖(セジョ)は、ついに非道きわまる行動に着手する。




陸の孤島

身命を賭して端宗(タンジョン)の復位を願った死六臣(サユクシン)。彼らは最期まで端宗に忠義を示したが、尋問を受けた同志の中には、端宗が計画を事前に承認していたことを証言する者もいた。これは端宗の立場を決定的に危うくした。
相次ぐ端宗復位計画に頭を悩ませていた世祖(セジョ)は、これを口実に反乱の芽を完全に摘み取ろうと考えた。
端宗は内乱を認知していた罪に問われ、都から遠く離れた寧越(ヨンウォル)に配流されてしまった。
このとき、端宗は17歳。寧越に向かう彼には、妻や宮女の同行が禁じられた。さらに、兵士たちに一挙手一投足を監視されながら、王族とは思えないほど古ぼけた籠に乗って端宗は出発した。
道中では、悲劇の先王を民が哀れみ、涙する者までいた。
端宗が流された地は、三面を川に囲まれ、残った一面は断崖絶壁という陸の孤島のような場所だった。




この見知らぬ土地で、端宗は不安と悲しみを抱えながら生活した。彼の唯一の楽しみは、山に登り故郷を眺めることだけだったという……。
(ページ2に続く)

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