世界は弱肉強食の激動の時代を迎えていました。そんな時期に朝鮮王朝はどんな歴史を歩んだのでしょうか。
◆1812年から1875年まで
〔1812年〕洪景来(ホン)(ギョル)(レ)が率いた蜂起軍は王朝軍の追撃を受けて弱体化。4月に王朝軍によって制圧され、洪景来も戦死する。
〔1834年〕妻の外戚に政治を私物化されてしまった純祖が失意の中で世を去る。彼の孫が24代王・憲宗(ホン)(ジョン)となる。7歳だったので、祖母の純元王后が摂政を行なう。
〔1849年〕憲宗が22歳で急死し、田舎で農業をしていた無学の青年が25代王・哲宗(チョル)(ジョン)として即位。それは、一族の影響力を残すために純元王后が画策した仰天人事だった。
〔1857年〕純元王后が68歳で息を引き取る。純祖に嫁いでから55年、王の後継問題を主導するなど朝鮮王朝の政治を思いのままに操った。
〔1863年〕哲宗が自堕落な生活の末に死去。後継の王は高宗(コ)(ジョン)。まだ11歳だったが、彼の父であった興宣大院君(フン)(ソン)(デ)(ウォン)グン)が有能で、安東・金氏の一族を政権の要職から追放することに成功。約60年間も続いた勢道政治が終わる。
〔1865年〕興宣大院君は景福宮の再建に乗り出す。莫大な費用がかかったため、庶民は増税となって負担が増えた。
〔1866年〕興宣大院君が鎖国政策に固執し、カトリック教徒を弾圧。フランスの神父9人が殉教する事件が起きる。フランス政府は報復として江華島(カン)(ファ)(ド)を一時的に占拠する。
〔1871年〕アメリカが江華島に侵入。欧米各国の軍事行動が相次ぐ。
〔1873年〕高宗の妻である明成(ミョン)(ソン)王后が政変を起こして興宣大院君を失脚させる。
〔1875年〕日本の軍艦「雲揚号」が江華島の沖で挑発的な行動を取ったことで軍事衝突に発展。日本は朝鮮王朝に開国を迫る。