- 2020-3-6
- 韓国時代劇の登場人物
- 朝鮮王朝, 正祖, 歴史
1800年6月、正祖(チョンジョ)は危篤状態に陥った。貞純(チョンスン)王后はこう叫んだ。「私が直接薬を差し上げてみるから、臣下の者たちはしばらく下がっていなさい」。その命令を受けて、重臣たちは部屋の外に下がった。
憤慨した臣下
今まさに、部屋の中には正祖と貞純王后しかいなかった。
しばらくすると、部屋の中から慟哭(どうこく)する声が聞こえた。その瞬間、部屋の外で待機していた誰もが「正祖が亡くなった」と覚悟した。
憤慨(ふんがい)した李時秀がその場で叫んだ。
「臣下の者たちが仰いで信じられるのは王大妃殿下(貞純王后)と慈宮邸下(正祖の母の恵慶宮)だけです。東宮(正祖の息子)におかれましてはまだ幼いので、お守り申し上げなければいけませんが、頼れるのはやはりおふた方なのです。それなのにどうしてこのように感情のままに行動なさるのですか。国家の礼法はとても厳正ですから、すぐにお帰りくださいませ」
重臣たちが声を荒らげるのも無理はなかった。
正祖が亡くなったとき、その臨終の場に立ち会ったのは貞純王后だけということになる。これは大問題だった。
なぜなら、貞純王后が正祖の遺言を操作するかもしれないからだ。しかも、貞純王后は誰が見ても正祖の最大の政敵であったのだ。
貞純王后は正祖の父の思悼(サド)世子を死に追いやった張本人の1人であったし、正祖の即位をずっと阻もうとしていた。
本来なら正祖によって重罪に処せられる立場だったのだが、形式上は正祖の祖母であったために、かろうじて罪を逃れてきたのである。それでも懲(こ)りずに、常に正祖の排除を画策してきた。
そんな政敵が、あろうことか正祖を看取る立場になろうとは……。
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名君だった22代王・正祖(チョンジョ)/朝鮮王朝国王列伝22
正祖(チョンジョ)を悩ませた恵慶宮(ヘギョングン)と貞純(チョンスン)王后!