タグ:歴史
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王妃の中で誰が「廃妃」になってしまったのか
朝鮮王朝の法律に沿って王が決定したように、王妃もまた厳格な法を適用されて決められていました。それだけに、王妃を廃妃にするのは容易ではないのですが、実際には多くの王妃が廃妃になっています。 [ca…詳細を見る -
王と王妃の結婚!儀式はどのように行なわれたのか
朝鮮王朝では、王室の結婚式のことを「国婚(クッコン)」と呼んでいました。この「国婚」には、王妃を迎える儀式、世子(セジャ/王の正式の後継者)の妻を迎える儀式、王子が妻を迎える儀式、王女が嫁に行く儀式の…詳細を見る -
妻の実家に主導権を取られた23代王・純祖(スンジョ)/朝鮮王朝国王列伝23
生没年/1790年~1834年 在位/1800年~1834年 朝鮮王朝後期の名君として有名な22代王・正祖(チョンジョ)。彼が1800年に48歳で亡くなったあと、10歳の息子が23代王として即…詳細を見る -
顕徳(ヒョンドク)王后/朝鮮王朝美女物語9
朝鮮王朝最高の名君と称される4代王の世宗(セジョン)。その長男が文宗(ムンジョン)である。彼は1人の美しい女性をこよなく愛した。それが、後の顕徳(ヒョンドク)王后であった。 [caption i…詳細を見る -
名君だった22代王・正祖(チョンジョ)/朝鮮王朝国王列伝22
生没年/1752年~1800年 在位/1776年~1800年 韓国時代劇『イ・サン』の主人公として知られている22代王・正祖(チョンジョ)。彼は王として即位してから多くの功績を残した名君である…詳細を見る -
粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)をぜひ王妃にしたかった!
朝鮮王朝の27人の国王の中で、とりわけわがままだったのが19代王の粛宗(スクチョン)だ。彼は仁顕(イニョン)王后という正室がいたのに、側室の張禧嬪(チャン・ヒビン)を王妃にしたくて仕方がなかった。その…詳細を見る -
燕山君(ヨンサングン)はどれだけひどい暴君だったのか
9代王の成宗(ソンジョン)は数々の政治的な業績をなし遂げ、名君に列せられるほどの評価を受けた。ただ、女性との間で騒動をいくつか起こしている。その最たるものが正妻の尹(ユン)氏を廃妃(ペビ)にした事件だ…詳細を見る -
派閥争いを治めた21代王・英祖(ヨンジョ)/朝鮮王朝国王列伝21
生没年/1694年~1776年 在位/1724年~1776年 英祖(ヨンジョ)は、19代王・粛宗(スクチョン)と側室の淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏との間に生まれた。異母兄だった20代王・景宗…詳細を見る -
敬恵(キョンヘ)王女!朝鮮王朝で一番美しい王女の波瀾万丈
絶世の美女と称された敬恵(キョンヘ)王女は、5代王・文宗(ムンジョン)の娘で、弟が6代王・端宗(タンジョン)です。その弟は叔父の世祖(セジョ)によって王位を奪われてしまいます。そんな悲劇的な時代を敬恵…詳細を見る -
人格に優れていた20代王・景宗(キョンジョン)/朝鮮王朝国王列伝20
生没年/1688年~1724年 在位/1720年~1724年 1720年、19代王・粛宗(スクチョン)は死の間際に「次の王は昀(ユン)である」と遺言を残した。その指名のとおり、昀は20代王・景…詳細を見る