どんな政治を行なったのか
孝明世子は、「任された以上、代理政治に最善を尽くそう」と思っていた。最初に彼が取り組んだのは、人事を新しくすることだった。
当時の重要な職は安東・金氏の一族によって占められていた。その状態を抑えるために、孝明世子は新しい人材をどんどん入れていった。その際に、孝明世子の妻の実家である豊壌・趙氏の一族が重用された。
孝明世子の岳父にあたる趙萬永は、孝明世子の後押しを受けたことで異例なほどの大出世を果たした。若くして人を見る目があった孝明世子は、その才能を人事面で大いに発揮したのである。
さらに、孝明世子は戸籍法の整備や刑罰の改善など見事な指導力を見せた。
それほどの手腕を発揮した孝明世子。その中でも特筆すべきなのが、宮中行事を改善して冠婚葬祭の典礼を完璧に整備したことだ。
朝鮮王朝は国教が儒教だったので、先祖に対して行なう祭祀はとても重要な儀式だった。孝明世子は、そうした祭祀においても改革を行なって礼楽を整えた。
代理で政治を行なった3年の間に多くの実績を出した孝明世子。しかし、3年という期間はあまりにも短い。その理由は、彼の健康状態にあった。
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イ・ヨン(孝明世子)の惜しまれる世子人生!
〔解説〕世子嬪(セジャビン)という人生/イ・ヨン(孝明世子)の世子嬪は?
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