イニョン王妃の復活と死!チャン・ヒビンに呪われたのか

悪女と聖女

それ以前、朝鮮王朝で廃妃になった王妃は何人もいたが、再び王宮に戻ってこられたのはイニョン王妃が初めてである。
まさに人徳の賜物だった。
しかし、せっかく復位したというのに、幸せは続かなかった。
イニョン王妃は病で床に伏すことが多くなった。




特に、1700年4月以降は、からだに腫れ物ができて激痛に襲われた。病状は一向に改善せず、彼女は長く苦しんだ末に1701年8月14日に亡くなった。まだ34歳の若さだった。
その悲劇的な死を目の当たりにした淑嬪・崔氏は、自分が知っていることをすべて粛宗にぶちまけた。
その内容に粛宗は驚愕した。なんと、張禧嬪がイニョン王妃を呪い殺すための儀式を続けていたというのだ。
粛宗は張禧嬪を厳罰に処した。その結果、イニョン王妃が亡くなった2カ月後に、張禧嬪は死罪となった。
以後、朝鮮王朝では「張禧嬪=悪女」「イニョン王妃=聖女」という評価が定着するようになった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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