生没年/1752年~1800年
在位/1776年~1800年
韓国時代劇『イ・サン』の主人公として知られている22代王・正祖(チョンジョ)。彼は王として即位してから多くの功績を残した名君であるが、いったいどんな政治を行なっていたのだろうか。
警戒心の強かった王
正祖の父は思悼世子(サドセジャ)である。
思悼世子と言えば21代王・英祖(ヨンジョ)の息子だが、その英祖に米びつに閉じ込められて餓死している。
それは1762年のことだ。思悼世子は素行の悪さを英祖から指摘されて、それが悲劇につながってしまった。しかし、それは当時の主流派閥であった老論派の陰謀でもあった。
思悼世子に批判された老論派は彼を危険な後継者とみなし、その排除に動いた。そうした工作によって思悼世子は死に追いやられた。その思悼世子に代わって英祖から後継者に指名されたのが正祖だった。彼は英祖のもとで必死に勉学に励んだ。しかし、正祖は常に命の危険にさらされていた。それは、英祖を惑わして思悼世子を死に追いやった老論派が、報復を恐れてたくらんだことだった。
警戒心が強かった正祖は服を着たまま寝たという。彼は、復讐心をひた隠しにしながら、常に周囲に気を配っていた。こうした毎日は正祖を大きく成長させる。
1776年、正祖は22代王として即位した。かねてから英祖の政務を手伝っていた正祖は、王になってその資質を開花させていく。
まず、正祖は父を死に追いやった臣下たちを徹底的に処罰していった。それも父の無念さを思えばこそであった。
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