安平大君(アンピョンデグン)と首陽大君(スヤンデグン)の対立の結末は?

 

◆首陽大君(スヤンデグン/1417~1468年) 世宗(セジョン)の二男で、1455年に世祖(セジョ)として即位した。
◆安平大君(アンピョンデグン/1418~1453年) 世宗(セジョン)の三男で、王位を狙って甥の端宗(タンジョン)を脅した首陽大君と激しく対立した。





競争心が強かった兄弟

世宗の長男は5代王となった文宗(ムンジョン)だが、その下に二男の首陽大君と三男の安平大君がいた。
世宗は文宗を王位継承者として重んじたが、同じように首陽大君と安平大君にも期待をかけた。それは、文宗をしっかり補佐してほしいという気持ちからだった。
世宗は、首陽大君と安平大君の二人に重要な仕事をまかせた。天文観測やお経の翻訳、世宗の陵の場所を決めることなど、国家の重要事業を二人が一緒に管理するようにしたのであった。
世宗の晩年には、王命を伝えることも二人がやっていた。王家の中でも重要な位置にいる大君(正室が産んだ王の息子)たちの一人に一方的に権力が偏ると、後に王権の脅威になると考えた配慮だった。
長く一緒に政治に参加していた二人だったが、兄弟愛よりも競争心が強かった。




武人的な資質を持っていた首陽大君に対して、安平大君は詩、書、画に長けた芸術家だった。
特に書は中国までその名がとどろき、彼の書がほしいと願う人が多いほどであった。それだけに、安平大君の自負心も兄である首陽大君に負けなかった。
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癸酉靖難(ケユジョンナン)で巨大な権力を得た首陽大君(スヤンデグン)!

首陽大君(スヤンデグン)は弟の安平大君(アンピョンデグン)を悪意で死罪にした!

決起した首陽大君(スヤンデグン/世祖〔セジョ〕)は何をしたか

首陽大君(スヤンデグン/世祖〔セジョ〕)はなぜ政変を起こしたのか

首陽大君(スヤンデグン)が起こした癸酉靖難(ケユジョンナン)とは何か



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