中宗(チュンジョン)はなぜ文定(ムンジョン)王后の悪行を止めなかった?

王の裏で暴走した王妃

文定王后の悪行を、中宗はなぜ止められなかったのか。彼が国王として強い権力を発揮すれば、妻を制止することもできたはずなのに……。
1つは中宗の性格にある。
彼は、強いリーダーシップを発揮するというより、優柔不断で決断を周囲の人間にゆだねるところがあった。
さらには、自分の思うようにならない状況に陥って、政治に対する情熱を失ってしまっていた。
こうしたことが重なって、文定王后が数々の悪行を行なっても、中宗はそれを止める強い意志を持たなかった。




そういう中宗の性格や態度を見抜いて、文定王后はさらに悪行を重ねた。
仁宗を毒殺したのも間違いないと言われている。
王の裏で暴走した文定王后。彼女の存在そのものが、朝鮮王朝にとってあまりに不幸なことであった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)
記事提供:「歴史カン・ヒボン」

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