明聖(ミョンソン)王后の溺愛!朝鮮王朝事件史12

母として本望

なぜ、明聖王后の死は無駄ではなかったのか。
それは、彼女が亡くなった直後に粛宗が奇跡的に回復したからである。いわば、明聖王后は息子の身代わりになったのだ。
母として本望であったかもしれない。
ただ、その死は結果的に1人の女性を宮中に復活させることになってしまった。
それは、張禧嬪である。
彼女は、明聖王后が存命であれば粛宗に近づくことができなかったのだが、その障害がなくなった。
母から溺愛された粛宗は、百戦錬磨の張禧嬪からすれば、色香で惑わすのがたやすい相手だったことだろう。




かくして、韓国時代劇でよく取り上げられる男女の愛憎劇が、17世紀末の王宮を舞台に派手に繰り広げられることになっていく。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

わがまま放題の粛宗(スクチョン)/朝鮮王朝人物実録5

張禧嬪(チャン・ヒビン)こそが朝鮮王朝で一番有名な女性!

粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)をぜひ王妃にしたかった!

粛宗(スクチョン)の母が張禧嬪(チャン・ヒビン)を王宮から追い出した!

張禧嬪(チャン・ヒビン)の死罪!朝鮮王朝事件史6

張禧嬪(チャン・ヒビン)に死罪を命じた粛宗(スクチョン)に高官が大反対!



固定ページ:
1 2

3

関連記事

ページ上部へ戻る