張禧嬪(チャン・ヒビン)に死罪を命じた粛宗(スクチョン)に高官が大反対!

 

粛宗(スクチョン)の正室だった仁顕(イニョン)王后は、1701年8月に亡くなります。すると、淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏が「張禧嬪(チャン・ヒビン)が呪詛(じゅそ)していた」と告発し、粛宗は張禧嬪に死罪を命じました。





世子のために

張禧嬪が死罪になると、高官たちが大反対しました。なぜなら、張禧嬪が世子(セジャ)の母親であったからです。
世子ということは、粛宗の次の王になる人です。その母親が死罪になったとなれば、後にどんな騒動が起きるか誰でも察しがつきます。それは、前例があるからです。10代王・燕山君(ヨンサングン)も生母が死罪になっていますが、その事実を知った彼は母の死に関係した官僚たちを根こそぎ大虐殺しています。
粛宗の側近たちもその二の舞いになりたくなかったのです。それで張禧嬪の死罪に大反対したのですが、表向きは「母が死罪になれば世子が悲しみでからだを壊してしまいます」ということを理由にしました。このとき、世子は13歳になっていました。
それでも、粛宗は強気な発言をしています。
「私がその事情を考えないはずがなかろう。大臣や臣下の者たちが、世子のために尽くそうとする誠意はわかっている。しかし、考えて考えて、さらに十分に考えた結果、ここまで事態が及んでしまったからには、処分しないわけにはいかない。ゆえに、私は意志を持って、左右の臣下たちに命令する次第である」




ここまで粛宗が言い切っても、臣下の者たちから反対意見が相次ぎました。たとえば、次のような訴えがありました。
「殿下が下された処分は大義によるものです。ただ、臣下たちが心配しているのは世子様のことです。このご処分があっても世子様を傷つけることはないとおっしゃるならば、私たちが意見すること自体が差し出がましいことなのですが、世子様の幼い年齢ではとてつもない災難を受けて傷つくおそれがあります。全国の臣民は、世子様のために命を投げ出す覚悟があり、命令に従えない場合もあります」
(ページ2に続く)

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