悲惨な最期を遂げた端宗(タンジョン)に涙する

あまりに悲しい最期

朝鮮王朝の正式な歴史書である「朝鮮王朝実録」には、錦城大君の失敗にショックを受けて端宗は首を吊って自殺したと書かれている。
しかし、これはあくまでも殺した側の記述である。野史(民間に伝承される歴史書)には、端宗の最期を語るものが多く残されている。それによると、端宗は世祖の使者たちによって殺されたも同然だった。
時代劇は端宗の死をどう描いたのか。
『王と妃』でも端宗の死が描かれているが、ここでは「朝鮮王朝実録」とは違う解釈がなされていた。
劇中、端宗はすでに死を受け入れていた。そして、夜中に役人が訪ねてくると、賜薬が与えられて丁重に葬ってもらえるものだと勘違いして、微笑みすら浮かべていた。しかし、安堵する端宗の背後から、他の役人が絞殺してしまい、その遺体は川に放り投げられてしまった。
そこにナレーションが重なり、端宗の死にはいろいろな説があることを説明する……。あまりに悲しい最期であった。




端宗を殺害したあと、世祖に反抗する動きはようやく沈静化した。
それは世祖の狙いどおりなのだが、歴史が彼を許さなかった。
今でも韓国で世祖は「非道な王」として非難されている。

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