- 2019-3-6
- 韓国時代劇の登場人物
- 朝鮮王朝, 歴史, 首陽大君
韓国時代劇の『不滅の恋人』に登場して強烈な存在感を見せているイ・ガン。この人物のモデルになっているのが首陽大君(スヤンデグン)である。彼は一体、どんな人生を歩んだのか。
大変な野心家だった
首陽大君は1417年に生まれた。
父は朝鮮王朝最高の名君と称された4代王の世宗(セジョン)だ。
この世宗の二男が首陽大君だった。
彼は、賢くて野心家だった。しかし、二男である以上、自分が王になれないことは覚悟していた。一縷の望みは捨てていないとしても……。
その一縷の望みとは、首陽大君の兄で世宗の長男だった世子(セジャ/王の正式な後継者)が病弱だったことだ。
案の定、世子は1450年に即位して5代王の文宗(ムンジョン)になったが、わずか2年3か月の在位で亡くなった。学識に優れていた上に温厚な性格だったので、その死を誰もが惜しんだ。
後継者は文宗の長男で、1452年に即位して端宗(タンジョン)となった。
まだ11歳だった。文宗は亡くなるまで端宗のことを心配していて、しっかり守ってくれるように側近たちに頼んでいた。
その側近たちがもっとも警戒したのが首陽大君だった。彼は幼い王を補佐するという名目で、王権にことごとく干渉してきた。
そして、ついに「陰謀の嫌疑あり」という理由で端宗の側近たちを次々に殺害。さらに、首陽大君は対立が激しかった弟の安平大君(アンピョンデグン)を死罪にしている。この安平大君は『不滅の恋人』に登場するイ・フィのモデルとなった王子だ。
7代王として即位
最大の実力者になった首陽大君は、端宗に対しても強圧的な態度を取り続けた。
24歳も上の叔父におどかされて、ついに端宗は首陽大君に王位を譲らざるをえなくなった。
こうして首陽は1455年に7代王の世祖(セジョ)になった。
しかし、世祖への風当たりは強かった。
「泥棒のように王位を奪った」
世間ではみんながこう噂した。
世宗時代からの忠臣の間では、端宗の復位を狙う動きが起こった。
しかし、世祖はこの動きを力づくで抑えつけた。その際には、むごたらしい血が数多く流された。
端宗が生きていては安心できない、と世祖は強く感じた。
(ページ2に続く)
安平大君(アンピョンデグン)と首陽大君(スヤンデグン)の対立の結末は?
首陽大君(スヤンデグン)は弟の安平大君(アンピョンデグン)を悪意で死罪にした!
安平大君(アンピョンデグン)を死罪にして首陽大君(スヤンデグン/世祖〔セジョ〕)が即位!
首陽大君(スヤンデグン/世祖〔セジョ〕)はなぜ政変を起こしたのか
癸酉靖難(ケユジョンナン)で巨大な権力を得た首陽大君(スヤンデグン)!