1392年に創設された朝鮮王朝の初代王は李成桂(イ・ソンゲ)だが、建国に尽力した最大の功労者は、李成桂の五男の李芳遠(イ・バンウォン)と儒学者の鄭道伝(チョン・ドジョン)であった。2人はやがて敵対するようになるのだが……。
争いの火種
李芳遠と鄭道伝が争うきっかけになったのは、李成桂が後継者となる世子(セジャ)の選択を間違えたことだった。
一番の実力を持っていた五男の李芳遠(イ・バンウォン)を世子に指名していれば問題がなかったのに、李成桂は八男の芳碩(バンソク)を選んだ。
これが火種になってしまった。自負の強かった李芳遠は異母弟の芳碩を排除する決意を固めた。その際に邪魔となるのが、芳碩の後見人であった鄭道伝(チョン・ドジョン)だった。
ここで両者の対決が避けられなくなった。
1398年8月、李成桂の容態が悪化し、息子たちに招集がかかった。しかし、これは鄭道伝の策略だった。
<王宮に来たときに李芳遠を殺害する>
そんな計画を鄭道伝は立てていた。
しかし、李芳遠はその手に乗らず、逆に鄭道伝とその仲間たちを襲う準備に入った。
そのとき、鄭道伝は仲間と隠れ家で密談をしていた。(ページ2に続く)