燕山君(ヨンサングン)はどれだけひどい暴君だったのか

燕山君について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社発行)

悪政の張本人

実際、成宗の後を継いで1494年に10代王となった燕山君は、即位当初はおとなしくしていたが、慣れるにしたがって奇行を見せ始めた。
王宮の庭園にいた鹿をよく撃ち殺してその肉をむしゃぼり食べたり、妖(あや)しげな女たちと放蕩三昧の日々を送ったりした。
もちろん、周囲から諫言(かんげん)を浴びたが、燕山君は憤慨して逆に言動が過激になった。
そんな暴君に目の敵(かたき)とされたのが、道義と名分を重んじる士林派の高官たちだった。成宗時代に冷遇された一部の官僚にけしかけられた燕山君は、何かと口うるさい士林派を徹底的に弾劾した。




これは戌午の年(1498年)に起こったので「戌牛士禍(ムオサファ)」と呼ばれている(「士禍」というのは、朝鮮王朝時代前期に派閥闘争などが原因で多くの官僚・学者が犠牲になった事件のこと)。
その6年後にはさらにひどい出来事があった。甲子の年(1504年)に起こったので「甲子士禍(カプチャサファ)」と呼ばれているが、この事件では燕山君の母(廃妃の尹氏)の死罪に関わった人たちが根こそぎ虐殺された。すでに亡くなっている人は墓をあばかれて首をはねられた。
これほどの悪政が続けば、庶民も黙っていられない。燕山君を批判する文書が市中に掲げられたが、それに怒った燕山君はハングルの使用を禁止する暴挙に出た。もはや常軌を逸しているとしか言えない。
こんな暴君だけに、1506年にクーデターを起こされて廃位になったのも仕方がなかった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化や日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』

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