張禧嬪(チャン・ヒビン)こそが朝鮮王朝で一番有名な女性!

強敵の登場

粛宗のわがままが続く。
彼は嫉妬深いという理由をつけて仁顕王后を廃妃にしてしまい、張禧嬪を新たな王妃として迎えている。
このように張禧嬪は人生の絶頂を迎えたが、ここから彼女の人生は大きく転落することになる。
そのきっかけとなったのが、淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏の登場である。
当時、王宮で水汲みなどの下働きをしていた彼女に心を奪われた粛宗。すでに張禧嬪への愛を失っていたこともあって、彼は淑嬪・崔氏を寵愛するようになる。その後、淑嬪・崔氏は、1694年に粛宗の息子を産む。




一方の張禧嬪は、粛宗が一度は廃妃にした仁顕王后を王妃に戻したことで没落してしまうが、彼女はそれで終わるような女性ではなかった。
仁顕王后に呪いをかけようと呪詛(じゅそ)を行なった張禧嬪は、神堂を建てて怪しげな祈祷師たちと祈祷を続けた。
それが原因かどうかはわからないが、仁顕王后は1701年に34歳で世を去ってしまった。
(ページ3に続く)

粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)をぜひ王妃にしたかった!

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