再び王の尊号に!
端宗は世祖が送った毒薬を拒否し、自殺を選んでせめてもの抵抗を示した。即位から5年後の16歳のときのことだ。
「世祖実録」では端宗の遺体を“礼をもって弔った”としたが、これも事実ではない。野史によると、端宗の遺体はそのまま放置されていたという。あり得ないほどひどい話だが、世祖が端宗を嫌っていただけに、うっかり手を出すと同じく反逆者にされる恐れがあって誰も端宗の遺体を納めることができなかった。
それを哀しく思った義士の厳興道(オム・フンド)が、端宗の遺体を丁重に埋葬した。まわりの者たちは、端宗の遺体に触れるのはあまりに危険だと引き止めたが、彼は敢然と言った。
「正しいことをして害を受けるのは本望である」
こうした人がいたということに救われる。
実際、端宗の祭祀が礼に従って行なわれたのは、彼の死から60年も経ってからのことだった。
さらに、端宗が「魯山君」から再び王の尊号を取り戻したのは、17世紀後半の19代王・粛宗(スクチョン)の時代だった。端宗が叔父によって命を奪われてから、なんと200年以上の歳月が流れていた。
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