太宗(テジョン/李芳遠〔イ・バンウォン〕)と元敬(ウォンギョン)王后の確執!

息子は最高の名君

妻の実家を滅ぼしたことは王朝の安泰のためにやむをえなかったとしても、「妻の高貴な身分まで奪うようなことをしてはいけない」と太宗は思い直したのである。
しかも、元敬王后は太宗の息子4人を産んでいた。そのことにも太宗は少なからず感謝の気持ちを持っていた。
この4人の息子の中で三男が忠寧(チュンニョン)であり、後に4代王・世宗(セジョン)となって太宗の後を継いだ。そして、ハングルを創設した偉大な王になったことは、歴史の事実が示す通りだ。




元敬王后は三男が1418年に王になったのを見届けて、その2年後に55歳で亡くなった。
夫との仲は険悪になってしまったが、息子たちに恵まれて、母親として穏やかな日々を過ごせたのかもしれない。
それでも、自分の実家を完全に滅ぼしてしまった太宗のことは、絶対に許せなかっただろうが……。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

太宗について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』

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