- 2019-2-20
- 韓国時代劇の登場人物
- 孝懿王后, 朝鮮王朝, 正祖, 歴史
公私のけじめ
孝懿王后は、王妃になった後も実に評判がいい女性だった。
姑の恵慶宮(ヘギョングン)は厳しい人だったが、孝懿王后はよく尽くし、その人柄の良さは宮中で誰もが尊敬するほどだった。
当時、王妃になると、宮中の高価な物を実家に送る例が多かった。そうやって、実家を裕福にしたのである。
しかし、孝懿王后はそういうことを一切しなかったと言われている。
そして、自分は質素な生活を続けた。
人間的にこれ以上の王妃はいなかった。
しかし、最後まで子供を宿すことはできなかった。後継ぎを側室に託さなければならない点は心苦しかったであろう。
1821年、68歳のときに亡くなった。
孝懿王后は今でも韓国で「もっとも徳があった王妃」として記憶されている。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。
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