朝鮮王朝の恐るべき五大鬼嫁

まさに鬼嫁の2人

◆明聖(ミョンソン)王后
〔1642~1683年〕
18代王・顕宗(ヒョンジョン)の正妻。19代王・粛宗(スクチョン)の母。妻の明聖王后が怖くて、顕宗は朝鮮王朝の国王としては珍しく側室を持たなかったという。
明聖王后は、張禧嬪(チャン・ヒビン)の欲望に気づいて、彼女を王宮から追放したこともある。
1683年、息子の粛宗が原因不明の病にかかったとき、助けたい一心で、真冬にもかかわらず水浴びの苦行を続け、それが元で亡くなった。

◆恵慶宮(ヘギョングン)
〔1735~1815年〕
22代王・正祖(チョンジョ)の母。21代王・英祖(ヨンジョ)の息子の思悼(サド)世子と結婚した。
当初は夫婦も仲が良かったが、後に険悪な関係となり、恵慶宮は夫を激しく非難するようになった。




思悼世子は父の英祖によって米びつに閉じ込められて1762年に餓死し、恵慶宮も世子嬪の資格を失った。
しかし、息子の正祖が王位にあがり、王宮内での立場を強めた。正祖亡きあとも実家の名誉回復に奔走し、1815年に80歳で世を去った。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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