短命だった5代王・文宗(ムンジョン)/朝鮮王朝国王列伝5

 

生没年/1414年~1452年
在位/1450年~1452年

文宗(ムンジョン)は1414年に4代王・世宗(セジョン)の長男として生まれた。幼い頃から偉大な父のもとで学んだ彼は、立派に成長した。学識があり、性格は穏やかだった。多くの人を引きつける魅力を持っていたが、からだが弱かった。

写真=植村誠



病弱だった文宗

1450年に即位したあとにすぐ体調を崩してしまう。そのため、文宗の治世はわずか2年と短く、在位期間の大半は床に伏せるような状態だった。
文宗は、3人目の妻である顕徳(ヒョンドク)王后との間に、ようやく男子を授かった。この男子が後の6代王・端宗(タンジョン)だ。
端宗は難産の末に生まれ、彼を生んだ3日後に顕徳王后は息を引き取った。母親を亡くした端宗は、文宗や多くの臣下たちに愛されて成長していく。
ただし、病弱な文宗の下で王権は次第に弱体化していった。




反面、各地の権力者たちは独自に力を付けていく。この勢力が無視できないまでに大きくなると、宮中での王族批判が強まった。
そのため、文宗の治世では、王と臣下たちの間に険悪な雰囲気が漂っていた。王として満足に政務を行なえなかった文宗は、1452年に38歳の若さでこの世を去った。

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