粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)を死罪にするとき何を語ったか(再読版)

粛宗の決定は変わらない

高官の間から反対意見が多かった。
なぜなら、張禧嬪は世子の母親であったからだ。
世子といえば、次の国王になる人である。その母親を死罪にしてはいけない、というのが高官たちの意見だった。
そうした反対意見をきっぱり抑えるために、粛宗は1701年10月8日に改めて覚書を出した。




「張禧嬪が内殿(王妃)に嫉妬して、ひそかに謀略をはかり、神堂を建てて日夜祈祷して、凶悪で汚れたものを埋めて、さまざまな狼藉に及んだ。まさに国家を危うくすることばかりだ。過去の歴史を見ても、まことに恐ろしいことだと言わざるをえない。王朝のためにも、世子のためにも、このようにやむをえない処分を下すのであって、せめて心中を察してくれ。やはり、以前出した覚書に従って、張禧嬪を自決させよ。もちろん、なぜ余が世子のことを考えないわけがあろうか。何度も何度も考え、さらに十分に考えた結果、すべきことがここまで至ったのだから、この処分を全うするしかない。多くの臣下たちも余の意思をくみとってほしい」
ここまで粛宗が言い切っている。彼の決定は変わらない。こうして張禧嬪は死罪となったのである。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

粛宗と張禧嬪について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著〔実業之日本社/900円+税〕)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』

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