妻の実家に主導権を取られた23代王・純祖(スンジョ)/朝鮮王朝国王列伝23

 

生没年/1790年~1834年
在位/1800年~1834年

朝鮮王朝後期の名君として有名な22代王・正祖(チョンジョ)。彼が1800年に48歳で亡くなったあと、10歳の息子が23代王として即位した。それが純祖(スンジョ)である。

写真=植村誠



不甲斐ない立場

正祖の素質を受け継いでいるので、純祖も最高権力者として大いに期待された。
しかし、即位当時は未成年だったので、王族の最長老女性であった貞純(チョンスン)王后が代理で政治を取り仕切った。
この貞純王后は21代王・英祖(ヨンジョ)の二番目の正妻であった。
貞純王后は自分の側近たちで要職を独占し、正祖が進めた改革をことごとくつぶしてしまった。
しかも、自分の敵対勢力に天主教(カトリック)の信者が多いという理由で、天主教徒の大虐殺を行なった。まさに悪の女帝であった。
その貞純王后が1805年に世を去り、15歳になった純祖はようやく親政を開始したのだが、王として不甲斐ない立場にならざるをえなかった。正妻の純元(スヌォン)王后の実家である安東(アンドン)・金氏の一族によって、政治の主導権を取られてしまったからである。




純元王后の父は金祖淳(キム・ジョスン)。野心家の彼は国王の岳父としての立場を利用して、次々に一族の者たちを要職につけていった。
このように、国王の外戚が権力を持つことを「勢道(セド)政治」と呼ぶが、朝鮮王朝で一番この政治を行なったのが安東・金氏であった。
(ページ2に続く)

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